ゆるゆるヘッポコブログ

日常の中の読んだものや見たものをゆるく呟くエセブログ

ファミコン第一世代を懐かしむ ①

今は平成27年。

月日が流れるのは早いもので、今のゲーム世界には何度驚いてもきりがない。

実物と遜色変わらない映像、さくさくと止まることのないキャラクター、そしてどんなエフェクトが起きようとも画面がちらつくことのない容量の豊富さ。

僕らの時代と比べたらなんと神々しいばかりの世界なのだろうか。

今まさにあの頃の僕らが思い描いていたゲームの未来像が所狭しと世間をのし歩いているではないか。

 

「ああ、素晴らしい世界がやってきたなぁ。」と思う半分、今の子供たちはかわいそうだなぁとひがみにも似た何とも言えないノスタルジックな思いに誘われるのは自分だけであろうか。

思えば自分が小学生の頃、あの画期的な風雲児ともいえる子供の遊びの根本を揺るがすともとられない悪魔のような電子機器との出会いがあった。

今まで外でワイワイとボールを蹴り、あっちこっちを走り回り、友達のうちに行っては漫画を読んでだべり、数百円を握りしめ駄菓子屋でどうすれば少ない金額で満足のいく腹ごなしと欲望を掻き立てる様々なおもちゃ達を手に入れられないものかと日々葛藤し、心の中で「今日のところはゆるしてやろう、」と買えない自分に虚勢を張る。

 

そんな毎日の中に突如雷鳴のごとく奴らは僕らの前に降臨したのだ。

その神々しいばかりの奴らをさっそく手に入れたのはやはりお金持ちの奴らと電気屋の息子。そしてたまたま誕生日が近かっただけという何ともうらやましい奴らだった。

当初の頃はほへー、そうなんだと聞こえてくる買えてるグループの何気ない自慢話を気のないふりをしつつ全力で持てるすべての聴力を駆使し、まだ見ることのないあの白い機体を我が物顔でプレイをする自分を何度となく想像し、今に見てろよと思う自分が何とも悲しく思えた。

そんなときは外へ行き、持ってないグループで何ぼのもんじゃー!と野球やサッカーなどに現実逃避を繰り返していたことが何とも物悲しいのも一つの思い出である。

 

そんな中流階級の(何が中流かは甚だ疑問。)自分にとってもチャンスはやってくる訳で、自分の誕生日の雪の降る季節、ここしかねぇという思いを胸に親にお願いしたのを記憶している。

さあ、これで自分もお前らの仲間入りだ。もう下々の奴らとは違うところを見せてやるといった勘違いも甚だしい思いを胸に機械本体と唯一買ってもいいと許された1つのソフトの吟味が毎日にわたって行われた。

誕生日には遊びつくしてやる。さあ、自分はどのジャンルで欲望を満たしてやろうか。

子供心に湧き上がるまだ見ぬ戦いを胸に日々学校で入ってくる持っている者たちの評価も参照にし、少年の心は一つのパッケージに魅了された。

ああ、なんてかっこいいデザインなのだろう。小さい機体で大きな敵に挑むその雄姿。

自分もその一機の仲間となって早く敵を殲滅したい。

近未来型の飛行機の名はソルバルウ

かの有名なナムコシューティングゲームに自分は決めた。

おりしもファミコン初期ロット時代の忌まわしい機能、四角いゴムボタンからプラスチックの丸ボタンに変更がなされた時期とほぼ同一であった。

時代も俺に傾いてるぜー!

もうすぐ来る誕生日を前に期待に胸を膨らませる少年ではあったが、その時誕生日にはソフトが買えて本体が買えないという悲惨な結果が待ち受けているとはこの時は微塵も思わなかった。